アニソン界の帝王で、「アニキ」の通称で親しまれた水木一郎さんが肺がんで亡くなりました。
謹んでお悔やみ申し上げます。
このスレでは水木一郎さんの①若い頃から現在までの画像②奥様や子ども、家族
についてレポートします。
【画像】水木一郎の若い頃!実家はレコード店経営で落語家志望!
水木一郎さんは1948年1月7日生まれ。
実家はレコード店経営をしています。
幼い頃から17歳ぐらいまでの画像です↓
はじめは落語家を目指していました。
しかし、ジャズ喫茶に入り浸っているうちに「ザ・ドリフターズ」の
櫻井輝夫さんと知り合いになり、歌手を目指すことになります。
【画像】水木一郎の若い頃!デビューから1970年まで!
1968年、20歳のときに『君にささげる僕の歌』でレコードデビューします↓
デビューはできましたが、レコードの売上は芳しくありませんでした。
マネージャーとも不仲で精神的にきつかったようです。
一時歌手を退いています。
生活のため、キャバレーやナイトクラブで歌を歌って糊口を凌ぎます。
【画像】水木一郎の若い頃!アニソンに活路を見出す!
歌手で売れなくて作曲家へ転向しようとし矢先、
日本コロムビアのデレクターの勧めでアニメ『原始少年リュウ』の
オープニングテーマを歌います↓。
これがヒット!以後、アニソンに活躍の場を移していきます。
【画像】水木一郎の若い頃!アニソンでヒット連発!アニソンの帝王となる1970年代!
原始少年リュウのアニソンで初ヒットを飛ばした水木一郎さんに
アニメンソング依頼が舞い込みます。
当時はアニメソングや特撮ヒーロー物など
子供番組のOPソングを歌う歌手はランクが低く扱われていました。
ヒットを飛ばしても歌番組には出られなかったそうです(今では信じられないですね)。
そのため、アニメなど子供番組の歌を引き受ける歌手がいなかったことも幸いしました。
70年代は一気にアニソンや子供番組のOPの歌ほぼ独占します。
アニメソング歌手に転校して最初の4年で約150曲の発表。
そのレコードの平均売上は10万枚(平均ですよ!平均!)、
累計600万枚に達しました。
この時代が水木一郎さんの全盛期になります。
歌ったアニメソングが多くすべてアップすることができません。
当時の代表的なアニメソングの画像をアップします。
大ヒットで水木一郎さんの代表作、マジンガーZ↓
グレートマジンガー↓
がんばれロボコン↓
超人バロム1↓
超電磁ロボコンバトラーV↓
1070年代の水木一郎さんのの画像です↓
『超人バロム・1』に出演した水木一郎さん↓